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世界初の車はいつ生まれた?自動車の始まりをたどる

「世界初の車」はいつ、誰が発明したのでしょうか。この記事を読めば、自動車の歴史に関するあらゆる疑問が解決します。結論から言うと、世界初のガソリン自動車は1886年にカール・ベンツが発明した「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」です。本記事では、この歴史的な一台の誕生秘話はもちろん、それ以前に存在した蒸気自動車や電気自動車の歴史、自動車の普及を決定づけたT型フォード、そして日本初の国産車まで、自動車の始まりを多角的に解説します。

結論 世界初の車は1886年のベンツ・パテント・モトールヴァーゲン

「世界で最初の自動車は何か?」という問いに対する最も的確な答えは、1886年にドイツの技術者カール・ベンツが発明した『ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン』です。この乗り物は、現代まで続く自動車の歴史のまさに原点であり、私たちの移動手段に革命をもたらした記念碑的な発明として世界的に認められています。

なぜこの三輪自動車が「世界初」と定義されるのでしょうか。それは、世界で初めて「ガソリンエンジンを搭載した実用的な乗り物」として特許を取得したからです。これ以前にも蒸気や電気を動力源とする乗り物は存在していましたが、軽量かつパワフルなガソリンエンジンと車体を一体のものとして設計し、一つの完成された製品として世に送り出した点で画期的でした。1886年1月29日にドイツ帝国特許庁から交付された特許番号「DRP 37435」こそが、自動車の公式な誕生証明書と言えるでしょう。

このパテント・モトールヴァーゲンの誕生は、単なる一つの発明品にとどまりませんでした。それは後の自動車産業の巨人、メルセデス・ベンツ社の礎を築くとともに、人々の移動の自由を飛躍的に拡大させ、20世紀以降の社会、経済、文化のあり方を根底から変える巨大なうねりの第一歩となったのです。

ガソリン自動車が生まれる前の「車」たち

「世界初の車」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、ガソリンで動く自動車でしょう。しかし、その誕生より遥か昔から、人類は自ら動く乗り物「自動車」の夢を追い求めてきました。馬に頼らず、己の力で進む乗り物の歴史は、ガソリンエンジンが登場する以前、蒸気機関や電気モーターの時代にまで遡ります。ここでは、ベンツ・パテント・モトールヴァーゲンへと至る、自動車の黎明期を支えた先駆者たちをご紹介します。

世界初の蒸気自動車 キュニョーの砲車

歴史上、初めて自力で走行したと記録される乗り物は、1769年にフランスで生まれました。軍事技術者であったニコラ=ジョゼフ・キュニョーが発明した「キュニョーの砲車」です。これは、重い大砲を牽引するために開発された蒸気自動車でした。車の前方に巨大な釜(ボイラー)を搭載し、そこで発生させた蒸気の力で前輪を駆動させる三輪車でした。しかし、その性能は時速4km程度と歩くほどの速さで、15分ごとに停車して水を補給する必要がありました。さらに、あまりにも重いボイラーが前輪にあったため操縦は極めて困難で、試運転中に壁に激突し、世界初の自動車事故を起こしたとも伝えられています。実用化には至りませんでしたが、動物以外の動力で車両を動かしたという点で、自動車史のまさに原点と言える存在です。

意外と古い電気自動車の歴史

現在、エコカーの主役として注目される電気自動車(EV)ですが、その歴史は驚くほど古く、ガソリン自動車よりも先に誕生していました。世界初の簡易的な電気自動車は、1830年代にスコットランドの発明家ロバート・アンダーソンによって作られたとされています。19世紀末から20世紀初頭にかけては、電気自動車は蒸気自動車やガソリン自動車と並ぶ有力な選択肢の一つでした。当時の電気自動車は、振動や騒音が少なく、排気ガスの臭いもないため、クリーンで快適な乗り物として富裕層に人気を博しました。しかし、バッテリー技術の限界から航続距離が短く、充電に時間がかかるという大きな課題を抱えていました。その後、ガソリン車の性能向上とT型フォードに代表される大量生産体制の確立により、電気自動車は一度、歴史の表舞台から姿を消すことになります。

世界初のガソリン自動車 誕生の物語

蒸気や電気を動力源とする試みが続く中、ついに現代の自動車の直接の祖先となるガソリン自動車が歴史の舞台に登場します。その中心にいたのが、ドイツの技術者カール・ベンツです。彼の情熱と革新的なアイデア、そしてそれを支えた家族の物語が、自動車の歴史を大きく動かしました。ここでは、世界で初めて特許を取得したガソリン自動車「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」の誕生秘話とその詳細、そしてその後の普及に繋がる重要な出来事を詳しく解説します。

発明者カール・ベンツと特許取得

世界初のガソリン自動車を発明したのは、ドイツの技術者カール・ベンツです。彼は自身の工房で開発した軽量なガスエンジンの可能性を信じ、それを動力源とする乗り物の開発に没頭していました。数々の試行錯誤の末、彼はエンジン、シャシー、駆動システムを一体化した三輪の乗り物を完成させます。そして、1886年1月29日に「ガス発動機付き車両」としてドイツ帝国特許庁から特許番号「DRP 37435」を取得しました。この特許こそが、世界初のガソリン自動車が公式に認められた瞬間であり、しばしば自動車の「出生証明書」と呼ばれています。この発明は、単に馬車にエンジンを載せたものではなく、全く新しい乗り物として設計された点に大きな意義がありました。

パテント・モトールヴァーゲンはどんな車だったか

「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」は、現代の自動車とは大きく異なる姿をしていました。まず、車輪は3つで、前輪が1つ、後輪が2つの三輪車でした。車体後部に搭載されたエンジンは、排気量954ccの水冷単気筒4ストロークエンジンで、最高出力はわずか0.75馬力。これにより、最高速度は時速16km程度でした。操縦はハンドルではなく、棒状のティラーで行い、ブレーキも手動のレバー式でした。しかし、この車の最大の特徴は、馬車にエンジンを載せたものではなく、シャシーを含めて車両全体が一体として設計された世界初の乗り物であったことです。エンジン、燃料供給、冷却、駆動、操舵といった自動車の基本要素がすべて盛り込まれており、まさに自動車の原点と呼ぶにふさわしい構造を持っていました。

妻ベルタ・ベンツが歴史を動かした長距離ドライブ

カール・ベンツの発明は画期的でしたが、当初は世間から「うるさくて危険な乗り物」と見なされ、なかなか評価されませんでした。この状況を打破したのが、彼の妻ベルタ・ベンツです。1888年8月、彼女は夫に内緒で、2人の息子を連れてパテント・モトールヴァーゲンに乗り込みます。故郷プフォルツハイムにいる母親を訪ねるため、マンハイムから約106kmの道のりを走破するという前代未聞の冒険でした。途中、燃料が尽きると薬局でシミ抜き用の石油系溶剤「リグロイン」を補給し、詰まった燃料パイプを帽子のピンで掃除するなど、数々のトラブルを機転で乗り越えました。この世界初の長距離ドライブを成功させ、自動車の実用性と信頼性を世に知らしめた功績は計り知れず、自動車史における最も重要な出来事の一つとして語り継がれています。

自動車の普及を決定づけた世界初の量産車

カール・ベンツによってガソリン自動車が発明された後も、車は依然として職人の手作業で作られる非常に高価な乗り物であり、ごく一部の富裕層しか手にすることができませんでした。この状況を根本から覆し、自動車を一般大衆の生活に浸透させる「モータリゼーション」の扉を開いたのが、アメリカのフォード・モーター社を創業したヘンリー・フォードです。彼の革新的なアイデアと生産方式が、自動車の歴史を新たなステージへと押し上げました。

ヘンリー・フォードが生んだT型フォード

1908年に発売された「T型フォード」は、自動車の歴史における金字塔と言える存在です。ヘンリー・フォードは「大衆のための車を作る」という強い信念のもと、徹底的なコストダウンを追求しました。その最大の武器が、ベルトコンベアを用いた画期的な流れ作業による大量生産方式です。これにより、一台あたりの製造時間が劇的に短縮され、驚異的な生産効率が実現しました。その結果、T型フォードは年々価格が引き下げられ、当時の労働者でも購入できるほどの低価格で提供されるようになったのです。

頑丈で信頼性が高く、操作も比較的簡単だったことから、T型フォードは「ティン・リジー(ブリキのエリザベス)」の愛称で広く親しまれました。1927年の生産終了までに1,500万台以上が製造され、アメリカの風景を一変させました。T型フォードの成功は、自動車が一部の特権階級の贅沢品から、人々の移動を支える実用的な道具へと変わった歴史的な瞬間であり、現代の車社会の礎を築いたのです。

日本の自動車史 日本初の車はいつ

世界でガソリン自動車が誕生し、新たな時代の幕が開かれつつあった頃、日本ではどのような状況だったのでしょうか。ここでは、日本における自動車の歴史の始まり、つまり「日本初の車」に焦点を当てて解説します。海外からの輸入から、国産初の自動車が誕生するまでの道のりをたどってみましょう。

日本に初めて上陸した車

日本で初めてガソリン自動車が走ったのは、ベンツ・パテント・モトールヴァーゲンが発明されてから12年後のことです。1898年(明治31年)、フランス人貿易商が持ち込んだフランス製の「パナール・ルヴァッソール」が、日本に上陸した最初のガソリン自動車だと言われています。記録によれば、東京の築地から上野までのデモンストレーション走行が行われ、当時の人々を大いに驚かせました。馬や人力車が主流だった時代に、自らの力で走る鉄の塊はまさに「魔法の乗り物」のように映ったことでしょう。この一台の輸入車が、日本のモータリゼーションの夜明けを告げる出来事となり、後の自動車産業発展のきっかけを作ったのです。

国産初のガソリン自動車 タクリー号

輸入車が日本国内を走り始めてから数年後、日本人の手で自動車を創り出そうという動きが活発になります。そして1907年(明治40年)、ついに国産初のガソリン自動車が誕生します。自転車技師であった吉田真太郎が中心となり、内山駒之助らの協力を得て完成させたその車は「タクリー号」と名付けられました。これは、エンジンから車体まですべてを日本人の手で作り上げた、記念すべき純国産のガソリン自動車第1号です。名前の由来は、ガタクリと音を立てて走る様子から来ていると言われています。残念ながら、タクリー号は試作段階に留まり、フォードT型のような大量生産には至りませんでしたが、その挑戦は日本の技術者たちに大きな夢と希望を与えました。タクリー号の誕生は、まさに日本の自動車技術の礎を築いた、歴史的な一歩だったのです。

まとめ

本記事では、世界初の自動車がいつ、どのようにして生まれたのか、その歴史を多角的に掘り下げてきました。結論として、ガソリンを動力とする世界初の自動車は、1886年にカール・ベンツが生み出した「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」です。しかしその誕生以前にも、キュニョーの蒸気自動車や初期の電気自動車など、人類が「自走する乗り物」を追い求めてきた長い探求の歴史があったことも見逃せません。カール・ベンツの発明と、妻ベルタの勇気ある挑戦が自動車の時代の扉を開き、ヘンリー・フォードによるT型フォードの大量生産が、車を一部の富裕層のものから大衆の足へと変えました。日本でもタクリー号に代表される先人たちの情熱が、今日の自動車大国日本の礎を築いたのです。一人の発明家の夢から始まった車は、130年以上の時を経て、今まさに電気自動車(EV)や自動運転技術という大きな変革期を迎えています。過去の偉大な一歩があったからこそ、自動車はこれからも私たちの未来を乗せて走り続けていくのです。